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2024/03/29

1万字@照史其の①

日々の忙しさにかまけていたら、ジャニーズWESTのfirst写真集が12月に!そして来月にはnewシングルが!!発売とな・・・!!

流石1年目、出るわ出るわ・・・・・

お財布の中身考えるとね・・・あんまり無理して出さなくて、いいよ??(苦笑)


さて、先日、ツイッタ―とか見ていたら読みたくなって買っちゃったよ、myojo。ほんま、久しぶりに買ったなあ・・・。

 照史のロングインタビュー。

これ読みたさに散財した自分って(笑)

なかなか、読み応えありますね。以下、抜粋。。。今日は前篇です。

一応、隠します。



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●カウコンでのデビュー発表時・・・

 勿論、7人がいいってずっと思っていました。でも、この言葉をどう受け取って貰えるか分からないですけど、僕は1度は“4人でやっていこう”って腹を括りました。・・・3人がいた方がいいに決まってる。でも、俺らが“入れたい”って言うのはおかしいんじゃないか、って。“デビューってそんなに簡単に決められるものなの?”って。そんなん言い出したら、関西Jrには他のメンバーもおる。頑張らなかった奴なんて1人もおらん。皆思いますよね。“俺も入れてよ”って。めっちゃ悩みました。でも、この世界の色んなノウハウを持ってる事務所が、ベストな形はこの4人だと決めたなら、何の知識も経験も無い僕等が感情だけで人数に関して口を出す事は甘いんじゃないか、って。デビューってそんなに軽いものじゃない。4人でやる、って決まった以上、“もし7人だったら”なんて逃げ道を作ったら、絶対うまくいかない。だから、カウントダウンの時、僕は“この4人でデビューなんだ”って、腹をくくったんです。

●デビューに至るまで・・・

 (名前について)嬉しかったのが、”きりやまあきと”って携帯に入れると一発で変換されるんです。デビューしたんだ、って実感しますね。
 (小さい頃は)やんちゃでしたね。お兄ちゃんが4つ上なんですけど、よう喧嘩して。あと、ずる賢かった(笑)カップラーメンが好きだったんですけど、普段はおかんがご飯作ってくれるんで、土曜の昼しか食べられなくて。でも、食べたいじゃないですか、ふつーに”食べたい”言っても駄目なんで、先に蓋を開けて”開けちゃったんやけど、食べていい?”って聞きに行くっていう(笑)それと、ちっちゃい時から、人前で喋ったり、歌ったり、踊ったりしてたんですよ。近所のガレージをステージにして。
 保育園を卒園する前ぐらいに、おかんに”ダンスやミュージカルを教える教室があるけど?”って聞かれて、”やる!”って即答したんです。(ダンスに興味があった?)ないない。”ダンス!?それ美味しい?”くらいな感じ(笑)でも、”人と違う事が出来る!”って思ったんですよね。
 変わった、っていうか、人が少ない方、少ない方に行きたかったっていうか。単に目立ちたいだけっていうか(笑)サッカーもやってた事があるんすけど、流行りで人数が多かったんです。もう、どうやってサボるか、って事しか考えてなかったですね。(ダンスは)一回も休んだ事がないです。楽しかったから。最初は全然踊れなくて、でも、今もそうなんですけど、”出来ひん”って思ったら楽しくなるんですよ。落ちこんじゃうんじゃなくて、”絶対出来るようになってやる!!“って。自分が出来ない事が、意味が分からないっていうか、許せないっていうか。
 3年生くらいには、”絶対に芸能界に入る”って決めてました。火が付いた瞬間があるんですけど、担任の先生に”smapに入りたい”て言ったんです。そしたら、”照史じゃ無理だよ~”って、冗談ぽくはぐらかされて。僕は真剣だったから、カチーンときて。”絶対なったる!”って。だから、芸能界に入りたいとか、ハ入れたらとかじゃなくて、”入る!”って、その瞬間に決めたんです。今、その先生に本当に感謝してて。導火線に火を付けてくれたから。当時、好きやったんが、SMAPさんとKinki kidsさんで。頭おかしんですけど、kinki kidsの3人目になって踊ってる夢とか、よう見てました。何故か、コンサートしてるのは、近所のガレージなんですけどね(笑)
(ちなみに、ポジションは)俺、真ん中です(笑)
 (事務所に応募したのは)小6の夏に送りましたね。でも、1年くらい音沙汰無くて。中学になって、僕、いくつかのダンス教室に通ってて、その中の1つの社長に”授業料いらんから、タレントを目指すコースに入らないか”って言われた事があったんです。で、生まれて初めて”話があるから聞いて”って、親と家族会議みたいな事して。でも、”駄目”って言われて。授業料はタダにして貰っても、教材費とかはそれなりの金額で。僕ン家、そんな裕福じゃなかったんで。”バイト出来るようになったら、働いて返すから”って言ったんですけどね。”やりたい”って想いだけじゃどうにもならない事もあんのかな、って思ったら、次の日にジャニーズ事務所からオーディションの通知が来て。(オーディションには)僕、モヒカンで行ったんです。喧嘩三昧だったとか、そういうんじゃないんですよ。小学校の時から大人に混ざってダンスしてたんで、周りの大人を見て、”その髪型、カッコイイな”って真似するようになって。あ、1度、親父に”パーマかけてみろ”って言われて連れて行かれて、パンチパーマみたいになっちゃった事もあります(笑)まあでも、モヒカンは中学に上がって、なめられたらあかんって思ってやったんですけどね。(よく入れたね)ですよね(笑)しかも、クソビックマウスで。『夜もヒッパレ』って番組があったんですけど、大野君とか、何人かのjrで出来たユニットが出てて。オーディションの面接で”MAさん、余裕で越しますわ!”ってのたまいましたからね。で、なんか、面接中、入口の壁に凭れかかって僕をずっと見てるおじいちゃんがいたんですよ。ずっと、こっち見てるんで、”何やねん、こいつ”って。睨みあいになって(笑)でえも、当時は知らなくて、オーディションは”後ほど電話連絡します”って言われて終わって。偉そうな事も言ったし、受からないな、って。でも、その夜、電話が鳴って、”次、どこどこに来て下さい”って。”行けたやん!”って。
 (おじいちゃんが社長だと知ったのは)僕、饂飩が食べ物の中で一番好きなんですけど、関ジャニ∞さんの舞台とかに呼ばれると、例のおじいちゃんが饂飩をいっつも食べさせてくれて。僕のモヒカンの先をやたら触ってきて、”ユー、顔だけじゃなくて、髪の毛もいかついねえ”って。だから、僕の中では、饂飩を食べさせてくれるおじいちゃん、って認識だったんですけど、ついに、”あんた、誰なん?”って聞いたら、”僕はジャニー喜多川だよ”って言われて。
 (社長に「ブサイク」と言われたことばある)あー、それは入って2~3年経ってからかな。”ユーはブサイクだけど、心が綺麗”って全力でフォローされた事があります(笑)

 (Jrの活動は?)全然。濱ちゃんが同期なんですけど、濱ちゃんはBOYSってグループをそっこーで組んだんです。マイクを持って歌ってて、羨ましかったですね。僕はステージに立つ時、一番後ろ。もう、ドラムの更に後ろ。もう、電飾よりも後ろで。”何でここやねん!”って悔しかったです。(デビューは)したかったですよ。でも、それより、目の前の人に楽しんで貰いたい、って事と、”目立ちたい!有名になりたい!”事ばっか考えてました。目立ったモン勝ちでしょ、って。
 地域がら、お笑いが強いですからね。東京のJrと比較しても、出られるTV番組も限られてるし、雑誌の露出だって少ない。そもそも、先輩のバックに立てる数が全然違う。
 確かに、東京のJrは羨ましかったですよ。うーん、でも、だからって、そこ言いだしたって何も始まらない。生まれた場所のせいにしたってしょうがないでしょ?どうにもならない事を悩み続けるより、目の前にある事に一生懸命になった方がいい。それに、何か、変な自信もあったんですよ。今あるお仕事を全力でやっていれば、誰かが見ていてくれる、って。ま、”東京と比べると・・・”なんて考える程頭が良くなかったんで、そこまで不利だと思ってなかったんですけどね(笑)とにかく誰よりも目立ってやろうって事だけ考えてました。関ジャニ∞さんのライヴに出た時も、一番目立とうと思ってましたから。”腹黒い!”って言われる事、多々ありましたけど。
 (辞めようとは思わなかった?)よく先輩がテレビや雑誌で”辞めようの思ってました”とか言う時があるじゃないですか。僕、”だったら辞めろや!”って口には出さないですけど、ずっと思ってたんです。”こっちは頑張ってやっとんや。辞めたかったら、黙って辞めたらええやんけ!”って。そんな事言っときながら、振り返れば、俺も辞めようと思う時期はあったんですけどね(笑)3回(辞めようと思った時が)あって。高校から大学に上がる時と、二十歳の時。最後が去年の5月ですね。特に、ラストの時は本気で辞めようと思ってました。

●BADについて
 最初は3人で、2人が年上。お兄さんと一緒、ってイメージでしたね。(淳太君とは性格がマ逆だよね)隠してもしょうがないんで、言っちゃうと、仲悪かったです。めっちゃ仲悪かった(笑)言う事もやる事も真逆でしょ。少なくとも、僕は合わないな、って思いましたね。(どうやって仲よくなった?)すこしずつ。”俺とは違う、そういう考え方もあるんや”って、思えるようになっていったのかな。僕に無い物を持ってるんで。大きかったのは、関西Jrだけでコンサートをやる、ってなった時で。淳太がステージで笑ってるのを見て、”10年後も一緒に笑ってるんやろな”って思えた瞬間があって。
 出会えてよかったな、って。僕、1人でいるのが嫌なんですよね。ご飯も1人じゃあんまり行かないんです。最近、1人でご飯屋さんに行った時、メンバーにグループメールで”今、これ食べてんんで!”って送ったら、皆”美味しそうやな”って返してくれたんですけど、淳太は店に来てくれたんです。”お腹、空いてたから”としか言わなかったんですけど。”1人なの嫌やろ”とか、言葉にはしないですけど、寄り添ってくれる。一緒におって良かったな、って思います。ありがとうな、って。

●ずっと関西Jrのメンバーに・・・・
 (jumpがデビューした時は)年下の子もいたけど、藪君達がおったから、まだ次世代のグループって感じもしなくて・・・。でも、jumpが結成された時、一緒にライヴしてたんですよね。だから正直、悔しかったかな。(その後、高校卒業。1度目の辞めようと思ったタイミング)そうですね。僕、こんな見た目のくせに、実は心配性で。他の子がゲストとかに呼ばれて自分が呼ばれなかったりすると、”何でなん”ってむっちゃ考える子だったんですね。ドン、って重くなるんですよ。焦るというか。何がアカンかったんやろ、って。で、同級生は大学に行ったり就職したりする時期で。漠然とですけど、”自分はもうやっていけないのかな”って。結構先を見るタイプなんです。一歩先を見ちゃう、っていうか。だから、見切りを付けるにも早かったんです。
 ”このライヴに出たら辞めよう”って思ってたライヴに出たんです。そしたら、丁度、『ごくせん』のプロデューサーさんが見に来てくれてて。直後に『ごくせん』が決まって。
 その時も、ぼんやり、”そろそろ限界かな”って思ってた時期で。リビングに座って飯食ってたのかな。そしたら突然、おかんに”アンタのやりたいようにやりや”って言われて。相談もしてないし、何も言ってないんですよ。(←親って、子供が何も言わなくても、顔を見りゃ分かる、って誰かに聞いた事あるよ)でも、そう言われた事でまたヤル気が出てきたというか。そしたら、すぐに『流れ星』が決まって。僕、辞めようと思うと、何かが決まるんです。最後に辞めようと思った後には、デビューが決まったし。運がいいんです。
 勿論、何か仕事が決まるという事は、その前に努力してきた事が評価されたのかな、って。ただ、皆同じだと思うんですけど、暗闇の中を走ってるようなもんじゃないですか。全力で走り続けても、いつ努力が報われる瞬間が訪れるかなんてわかんない。でも、走って、走って、もう駄目だって立ち止まってしまったら、実はその10m先、もっと言えば、あと1歩先に夢が叶う瞬間があったかもしれない。ありきたりですけど、諦めたら、立ち止まってしまったら、そこで終わりなんです。難しいですけどね。でも、限界だ、って思ったとこから、絶対にもう1歩だけでも走り続けた方がいい。(ごくせんの時も)あの時も、とにかく目立ちたい、ってのが強かったです(笑)取りあえず、爪痕、残さないとって。うーん、でも・・・、これは、初めて言うんですけど、ずっと、申し訳ないな、って思ってました。関西Jrのメンバーに。関西Jrを代表して僕が出て行ってるのに、『ごくせん』に出た事で関西Jrが盛り上がったのか、っていったら、そうでもない。kat-tunみたいに”ドーン!”っていくんやろな、って思ったら、そうじゃなかった。その後も、僕は色んなチャンスを頂いたのに、”ウワっ!”って人気が出ない事に、ずっと関西jrのメンバーに対して御免な、って思ってました。ずーっと、ごめん、ごめんな、って。

●入院
 (ごくせん終わった頃、入院してるよね?)・・・・はい。発作が起きて。過労とかが原因らしいんですけど、気管支炎で。ちっちゃい時は出なかったんですけどね。今は、季節の変わり目に、たまに出るくらいですけど。
 (右耳の難聴は?)それは、関西jrでツアーを始めた頃かな。プレッシャーとか、精神的なものが原因らしいんですけどね。僕、昔から、どんなステージに立っても全く緊張しないんです。”ザ・ワイルド!”みたいな感じに見えるでしょ?でも、見た目と心はワイルドでも、身体はビビりなんです(笑)関西Jrのリーダー的存在だね、って言われる事もあったけど、何の貢献も出来てないプレッシャーが、めっちゃ大きかったんです。逃げ出したかったし、平気なふりしても、身体は怯えてたんでしょうね。
 今は治ってるんで、全然大丈夫なんですけど。耳元でヘリコプターが飛んでるような音が聞こえたり、体中の血が流れてる音が聞こえたりしたんです。その音をかき消したくて、一人の時は”ああすれば良かった”とか、”あれは絶対失敗しちゃいけない”とか頭の中で延々考えるんですよね。無音が煩すぎるんですよ。僕にとっては。だから、人と喋ってた方が休まるんで、あんまり一人は好きじゃないんです。あの頃は、特に不安定で。関西Jrを盛り上げられず申し訳ない、って思いが強くって。だけど自分じゃない誰かが呼ばれたりする仕事があったりすると、”やっぱ俺じゃ駄目なんだ”って自分を追い込んじゃう。でも、桐山照史という人間は、笑ってなきゃいけない、って思いこんで、人前では笑い続けて。そんな事思ってる事、誰にも言えなかったですけどね。
 どうしたらいいのか分からなくなって、1度、安田君に相談した事があって。そしたら言われたんです。”他人の幸せを喜んで上げられる人間になりなさい”って。その言葉に救われましたね。色んな事がフラッシュバックしたんですよ。俺は、誰かの仕事が決まると不安になったり不満だったりもした。でも、関西Jrのメンバーは、僕がドラマに出たりすると応援し続けてくれた。”頑張ってな!頑張ってな!!”って。僕は、関西Jrを引っ張ってたんじゃない。ずっと支えられてた。一人でガツガツ行ってるように見えたかもしれない。でも、それが出来るのは、関西jrのメンバーがいてくれたから。さっき、関西は、東京に比べて不利みたいな事言いましたけど、デメリット、って見方を変えればメリットで。先輩のバックに付けない分、関西Jrはそれだけ一緒にいる時間も長い。マネージャーさんも頻繁に来れる訳じゃないから、後輩が遅刻したりしたら、先輩がちゃんと怒ったりもする。繋がりがより深いというか。皆で支え合う。もう関西Jrで一つの家族みたいなもんなんです。
 (優馬については?)もうね、入って直ぐ優馬は(デビューが)見えてました。自分の子供ながらに(笑)こいつは行くな、って。だから、悔しい、って感情が芽生える筈なのに、そうじゃなかったんですよね。それに、簡単にデビューした、って見えたかもしれないけど、周りから見えるより、優馬は優馬で大変やったと思います。
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2014/09/03 ジャニーズWEST雑誌 Comment(0)

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ララッペ
性別:
女性
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再就職決定しました・・・!
自己紹介:
宮城在住の関ジャニ∞、特にヒナ、こと村上信五さんが大好きです。最近は関西JrのBAD・BOYSも気になりつつある今日この頃です。。(バドボ応援ブログはこちら→「★STAY∞GOLID★」
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